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ОБРАЩЕНИЕ К МОЛОДЕЖИ (ЯПО)
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平和の時代の暦 社会生活の質と子どもの将来 27人の研究者による、12カ国語に訳された次代の人々へのメセージ 著者は次の通りである。タルガツ・アクバシェフ、アダ・アハロニ、マリア・アスコナ、場知賀 礼文、ガロルヅ・ベッケル、ケッリ・ボウデン、クロッド・ベズエ、ニナ・ゴンチャロワ、マルタ・デビット、ドミトリイ・イワシンセフ、タキス・イオニデス、ブラジミル・カフトリン、レナト・コルセッチ、ガイ・クレキュウ、エベリン・リンドナー、ロザ・ロルド、ジョン・マッコネル、ヒラリ・ロゼマン、マトレヤ・ロイ、サビル・ロイ、ベルナルド・スコット、ベルナルド・フィリプス、ルドルフ・ジベルト、タチアナ・セリューチナ、イゴリ・シャドハンとアブラム・ユスフィンなど。 レブ・セマシコはこの運動の創始者とメッセージの編集長である。使用言葉は英語、ロシア語、エスペラント語、スペイン語、フランス語、ギリシャ語、ドイツ語、ポルトガル語、日本語、中国語、アラブ語、そしてイヂッシュ語である。 6月21日を世界調和の日に(望ましければ、別の月日を決めてもよい)。世界調和の記念日は調和の時代の暦には最も相応しいイヴェントと思われる。人類は世界の調和や秩序を守っていくとすれば、この時代が始まる。新しい暦は社会を考える新しい尺度になる。社会的調和は人類の普遍的な性格を表し、情報社会の目標になるべきではないだろうか。 国と共同著者のリストオーストラリア: ケッリ・ボウデン と ヒラリ・ロゼマン;イギリス :ベルナルド・スコット;アルゲンチーナ:マリア・アスコナ;ギリシャ:タキス・イオニデス;イスラエル:アダ・アハロ;、イタリア:レナト・コルセッチ;インド:マトレヤ・ロイ、サビル・ロイ;カナダ:クロッド・ベジエ;ロシア:ドミトリー・イワシンセフ、ブラヂミル・カフトリン、タチアナ・セリュチナ、アブラム・ユスフィン、ニナ・ゴンチャロヴァ、タルガット・アクバセフ、イゴリ・シャドハン;アメリカ:ガロルド・ベッカー、マルタ・デビット、ロザ・ロルド、ジョン・マッコネル、ベルナルド・フィリプス、ルドルフ・ジベルト;フランス:ガイ・クレキュウ、日本:場知賀 礼文;そして「世界人」の評判をもっているエベリン・リンドナー。 メッセージの翻訳者と編集者のリスト 英語:マルタ・デビット;ビル・ホナルド;クロッド・ベジエ;ロザ・ロルド;レブ・セマシコ;エスペラント語:レナト・コルセッチ;ロシア語:レブ・セマシコ、ナタリア・ゴンチャロヴァ;フランス語:クロッド・ベジエ、ガイ・クレキュウ;スペイン語:マリア・アスコナ;ギリシャ語:タキス・イオニデス;ドイツ語;ポルトガル語、日本語、中国語、アラブ語、イスラエルのヘブライ語 (*)We sincerely regret that our Japanese translation needs much editing and correction. This is the case especially of the parts that have an asterisk (*)added to the title. We will correct the translation for the second edition of this book. Leo Semashko (*)和訳については、不備の点が多く、心からお詫びいたします。とくにタイトルに(*)の星印のついている文章を大いに修正する必要がありますが、第二刷発行に修正を施す予定です。2006年6月10日 レブ・セマシコ 子ども、若者や次代の人々に調和の時代開始をアピールする文章略記 このメッセージの目的は子どもや若者、次代の人々にアピールすることにある。調和の時代の暦を確立する計画をもって、将来の秩序を積極的に支持することができると思う。この暦の基礎には全世界規模での情報社会に生きる一般的な人間の尺度として調和をおいている。調和の時代の暦は世界の主要な文化から発生し、その文化の繋がりや調和に集中する共通性を示している。本文章は12カ国から27人の社会科学者や芸術家によって作られ、27の記念日を含めている。多くの言語で出版されて、全世界の国々を繋いで、諸文化や文明は互いを理解することができるようになるのではないだろうか。それは子どもに憎悪や戦争ではなくて、平和や調和を教えるからである。 メッセージは五つの部分からなっている。それは序文の他に、調和の定義、調和の暦、共同著者の文章と読者からの最初の反応である。本メッセージの全体は英語、ロシア語、スペイン語とフランス語で書いてあるが、他の八つの言語、エスペラント語、ギリシャ語、ポルトガル語、ドイツ語、日本語、中国語、アラブ語、そしてユダヤ語では、本文の最初の三つの部分の省略したものが発表された。省略の理由は資金の不足にある。同じ理由で暦に関する20人の共同著者のコメントも大いに省略された。 目次 1.序文では、調和は尺度として考えられ、調和の時代の基礎とされている。2.社会的調和の定義3.調和の時代の暦4.共同著者の文:多元的見解。5.読者からの言葉と最初の反応 序文 戦争と不調和で特徴づけられた工業の時代が去りつつあると私たちは思っている。この時代が終わり、新しい時代が到来してくるはずだ。社会的、精神的、政治的、経済的な生活に新しい質をもたらす普遍的な情報が新時代の特徴になるだろう。世界的に広がる情報社会は人間の自然のあり方を示しており、それを発達させるのではないだろうか。普遍的な情報が普遍的な人間を形成し、その普遍的な人間は普遍的な情報と社会秩序を作っていく。社会的調和は昔からどこの文化においても、目にみえない基礎であった秩序を復活させる。今こそ、社会的調和を考え直さなければならない。 古代ギリシャの哲学者プロタゴーラスは2500年前、人間の本質を次のように表わした。「人間がモノの尺度である」と。この定義は、古代の不調和な人やモノの考え方に由来する。モノの優先は不調和につながり、自己中心の人間や社会を形成する。モノの優先は人間と社会の不調和を生んだゆえに、やむことのない「万人の万人に対する争い」が継続していた。貧富の差、職業、年齢、性を基準にして、様々な宗教や文化が形成され、民族間、文明間、社会階級間の敵意が結果的に生じたのである。モノを重視する考えは個人と社会の対立を起こしたので、人間がモノの尺度であったことだけではなく、モノが人間の尺度にもなったのである。 現代はモノの優先からインターネットなどにある普遍的な情報の優先になりつつあり、過渡期と思われる。言い換えると、個人と社会の不調和から、普遍的な人間と調和の社会に変わる過渡期だと考えられる。現在は普遍的な情報が増していき、全世界に情報社会が生じつつある。この新しい社会では調和が普遍的な人間や宗教や文明や文化の尺度になり得、新しく啓発され、人間の普遍的な基準でもあると考えられる。人間は情報に基づいて、様々なモノを発明している。モノの優先は不調和を生じるが、普遍的な情報は調和のとれた社会や調和を重んじる人々を形成する。普遍的な情報は調和のとれた社会の一番重要な資源である。普遍的な情報を利用すれば、また子供と若者を中心にものを考えれば、社会の統合は可能になるはずだ。子供や若者こそ、調和の時代と調和の文化の対象になり得る。新しい社会の状況を反映する本暦には人間の普遍的な象徴として、27の記念日を設けて、それを記念することによって社会的調和の根を下ろすことができると考えられる。 本文章は、次代の人々への文化的な遺言として12カ国を代表する27人の芸術家や、社会科学者の協力によって得られたものである。本文章は子供や若者に送られる。次代の人々はこれを日常生活に役立でて欲しい。子供や若者は新しい情報の社会の担い手になっている。世界を調和にするのは難しく、長い年月を必要にするものだが、新しい情報の社会は核兵器、テロ、戦争、貧富の差、大気汚染などに反対する可能性をもっているので、それを実現する方向で運動しましょう。本文章はこの建設的な過程に貢献できるようにと願っている。ここで、まずこのメッセージの共同著者に感謝を述べたいと思う。この方々は4ヵ月間、いろいろ討論して、本メッセージはその結果である。特に感謝したいのは次の方々である。調和の暦作りのきっかけになったのは、「愛の日」のアイデイアを提案したガロルド・ベッカーと、「世界の新しい文化」のアイデイアを出したアダ・アハロニと、宗教の「黄金律」を述べたルドルフ・ジベルトなどである。さらに、暦の翻訳者、編集者などにも感謝の意を述べたい。最後に、この文章は妻の愛と我慢のおかげでもある。 2006年4月26日 サンクト・ペテルブルグにて レブ・セマシコ(社会学者、社会哲学者、サンクト・ペテルブルグ役所の顧問、「調和からの平和」という www.peacefromharmony.org/国際インターネットサイトの創立者) 社会調和の定義 (*) 社会調和の定義を下すために次の断言を見とめないといけない。調和は普遍的な人間の尺度であって、普遍的な知識を持つ人は社会調和の尺度である。調和には二種類がある。一つのは「外部の調和」か「機能の調和」と呼ばれて、社会に役割に関係がある。そしてもう一つは「内部の調和」あるいは「構造の調和」と呼ばれ、その組織、構造、参加者に関している。そのわけで調和の定義も二つある。それは機能的定義と構造的定義である。機能定義はいくつかからなっている。 調和とは:l離れ離れのものの統一である。そういう統一ができたら、社会調和と秩序も現われてくる。離れ離れのものの秩序には調和の世界に秩序がある。l別のものの秩序である。その秩序には対立があり得るが、この問題を強制的に解決すれば、統一が崩れるだろう。l「平和を求めれば、闘え」という原則ではなくて、「平和が欲しいなら調和を造ろう」という原則である。l人間の滅亡に導く戦争の代わりのものである。l様々な文化、民族、宗教の平和である。国の対立、戦争を防止しているが、国の特色を保存している。l戦争ではなくて、平和を願っている政治、経済、科学などである。l次代の人々にとって希望と愛である。lその対象になる人々のグループの幸せである。l文明の統一と調和の世界の形成によって、大気汚染、エネルギー、人口などの問題の解決である。l社会生活の新しい質である。l世界にある田舎のそれぞれの秩序。l人類の全ての民族の平等である。l会話や合意を手段として将来の人々の調和の生活を計画することである。 調和時代の暦とは:l情報社会にいる人間の調和のシンボルである。l宗教対立、文明対立、戦争に溢れる今までの2000年間を否定することである。l軍事祭りや新時代のカレンダーの代わりのものである。l東と西、北と南の社会調和の制定の試みだ。l共通の大事なものと記念日の統一である。l昔の平和のカレンダーを保存することである。l調和時代の開始である。l戦争のための時間が残らないように、各々の記念日を平和の祭りにすることである。 調和時代の暦の一番大事な記念日は世界調和の日としての6月21日である。調和の機能的定義のほうが構造的定義より容易である。 構造定義は調和の組織、構造、参加者に関係ある。構造定義を下すように特別な社会哲学の理論を知らないといけない。 世界情報社会の調和の時代の暦 前書き(*) 私たち27人の研究者は12カ国からの社会科学者や芸術家である。私たちは世界の主な宗教や文明を代表し、子どもや孫が好きで、この地球の将来を心配して、調和のアイデイアのおかげで一緒に集まっている。私たちは若者、特にこれから親になる人々にアピールしたい。情報社会と共に生じる調和の世界の文化を表す新しいカレンダーを提案している。この暦は全ての文化、宗教、民族に高く評価される調和、愛、平和などの25の記念日が含んでいる。これからも次の世代のために暦を発展したいと思うが、この暦は新しい哲学、価値観、理論を求めている。しかし、調和の構造の共通理解がなくて、調和に達する方法がまだ分からない。皆それぞれの意見がある。若者とのコミュニケーションがなかったら、この問題の解決ができなく、平和の文化のカレンダーもできない。皆さんの判断、意見、協力、行動をお願いしたい。 今の読者の皆さんも協力して、意見を出してくださるようにお願いしたい。それをインターネットサイト www.peacefromharmony.org に書いておいでください。このアイデイアによって対立が調和に代わるかもしれないから、全世界の科学者、画家、文化人、私たちの仲間に入ってください。 調和の暦の考え方(*) 各民族は特別な暦をつくって、それによってその民族の最も重要な出来事が祝われる。暦は大事な日取りを思い出させて、人間の日常生活に影響を与える。昔は軍事カレンダーが多くあった。その主な原則は「平和を求めれば、闘え」であった。しかしその代わりに「平和を求めれば、調和を探せ」という原則のある新しい文化とカレンダーが現われる。新しい文化が情報時代と共に20世紀の半ば頃にできた。東洋文明と西洋文明の成果を統一しながら、新しい文化が古い世界からゆっくりと生じつつある。西洋ではホメロス、ピファホール、プラトン派、東洋では孔子派、ブッダ派は昔から今まで調和の夢を持って、それを実現しようとした。そのわけで、調和は全世界では共通的なものになる可能性がある。昔では調和は夢だけだったが、今では情報社会はそれを実現できると思う。調和のおかげで、核兵器による人間の滅亡を防止することができる。だから情報社会は調和の社会になる。 調和の文化をもっと詳しく調べるには、国際インターネットサイト www.peacefromharmony.orgを参考してください。そのサイトを創ったのは27カ国から140人の代表者である。国際文学文化討論会の会長はアダ・アハロニ先生であって、アハロニさんこそ調和世界の文化のアイデイアを出してくれた。私たちのサイトには調和の様々な解釈がある。例えばアダ・アハロニは新しい調和の世界の文化の理論を立てている。その調和の世界は民族のお互いに対する尊敬や平和に基づいている。マルタ・デボンは勢力の分割や勢力の調和化の理論を述べている。 場知賀 礼文は価値と象徴という文化的な要素を中心に宗教世界における調和を論じている。 ヒラリ・ロースマンは心のふれ合いについて考察を行っている。 ロザ・ロルドは母親の団結や飢餓の我慢が社会調和に達するように必要だと述べている。 エベリン・リンドナーは威厳を保つのが大事だと述べている。 ベルナルド・フィリップスは相談しながら問題を解決しようと述べている。 ルドルフ・ジベルトは全ての宗教の和解の理論を打立てる。 ガロリド・ベッカーはグローバルな愛の理論を立てる。 レナト・コルセッチはエスペラント語が全世界の人々の統一の手段であると述べている。 そしてレブ・セマシコは子どもの優先の理論を立てる。 上述の文化のアイデイアをもっと詳しく調べるには、本文章の最後にある共同著者の章を読んでください。あるいは私たちのインターネットサイトを参考してください。このサイトは私たちによって皆さんと相談できる手段であって、平和や調和へ導くものである。 様々な文化の要素を一致してみたいと思っている。私たちのサイトが開始した一致の過程はとて時間がかかって、難しい。だから若者を招待したいと思う。若者は調和を願って欲しい。なぜなら調和でなければ、危険に溢れている戦争や憎みを狙うようになるからである。私たちは何もしないと、調和が現われない。戦争の代わりに調和の道を選んで、それを歩いていこう。 戦争と平和の問題は人類の最大の問題である。それを解決したら、全ての民族が統一できて、貧乏、健康、エネルギー、エコロジーなどの世界問題の集中できるようになる。現代、平和に導くのは戦争ではなく、調和だけだ。若者に平和に導く調和を造ろうとアピールしている。 私たちの多文化的なサイトには別の要素を調和した新しい文化のカレンダーがある。その要素は次の記念日である。 2004年にアメリカで創立された愛基金が5月1日をグローバルな愛の日として提案している。( www.thelovefoundation.com ) 文学文化討論会の会長のアダ・アハロに先生は7月30日を世界の新しい文化の日にしようと提案している。なぜなら7月30日は文学文化討論会の創立の日からである。「平和を求めれば、平和のために働きなさい」という原則を持って、調和を造ろうと述べている。アダさんは平和な生活に達するように様々な民族の理解や尊敬に基づいて、平和的な詩,文学、文化を研究しなければならないと言っている。 国際の約束のクラブの創立者であるケッリ・ボウデンは自分のカレンダーを作っており、11月30日を子どもに対する平和の約束の日として提案している。 アメリカの社会学者マルタ・デビットは11月11日を戦争停止の日としてカレンダーに含めようと述べている。11月11日は第一次世界大戦などの戦争を思い出させてもらいたい。それに5月15日はイスラエルとパレスチナガ平和的に合意した日だから、5月15日を和解の日にしようと提案した。 アメリカ人のロザ・ロルドは1月12日を飢餓や貧困の焼失の日にする提案がある。その消失は公平なことであると思われる。 私たちのサイトの著者は「子どもを優先にしよう」という運動を開始した。今まで子供の日であった6月1日はこれから子どもの優先の日になる。子どもを優先にすることは子どもにとって教育、平和、健康を保障する。 夏至の日である6月21日を世界調和の日にしたいと思う。社会内の調和、人間の中の調和、民族の間の調和、人間の間の調和、人間と自然の調和を全て調和として解釈する。それに6月21日は調和の世界の基金の日にする予定がある。戦争が多くのお金を必要とするが、調和の世界も子どもの教育や貧困の消失に使うお金もたくさん必要であう。だからそのお金を集める基金が必要になる。そして6月21日を投資の日にしたいと思う。もし現在戦争に使うお金を調和世界基金に投資したら、20年―40年後調和の生活に達するはずである。 宗教学の研究者のルドルフ・ジベルトと日本で活躍している場知賀 礼文とレブ・セマシコは1月1日を「宗教的黄金律の日」に提案している。宗教的黄金律の日は全ての宗教や信者を統一して、様々な宗教の対立を否定している。この日は全ての宗教に認められているだろうから、すべえの信者の共通の記念日になる。
エスペラントの協会長であるレナト・コルセッチとレフ・セマシコは12月15日をエスペラントの日にしようと提案している。12月15日は1887年にエスペラントを創案したザメンホフ博士の誕生日である。エスペラントの日は国際普遍的な言語の日である。エスペラントは世界で一番平和的で、調和のとれた言語である。
レブ・セマシコは3月5日を全ての民族、宗教、文明がお互いに謝罪する日にしようと言っている。 エベリン・リンドナー博士は1948年に導入された人権の日である12月10日を公平な尊厳と普遍的な人権の日に変えようと言っている。世界人権宣言の一番重要な原則は「生れた人は皆自由であって、平等の権利がある」であるが、もちろん新しい世界にとってもこの原則は大切である。 タチアナ・セリュチナは1月10日を世界の子どものコミュニケーションの日にしようと提案している。 その日には子どもが大人、政治家たちと話し合えるようにしたいと言っている。子どもはマスコミで発表したり、大人に質問したりすることができる。それに5月31日を子どものための慈善の日にする提案がある。お金のある人が貧しい子どもにお金を出す日になると願っている。 1996年から活動している「惑星3000」というクラブの創立者タルガット・アクバセフ、ニナ・ゴンチャロヴァとクロッド・ベジエは自然、自然力に関する記念日を四つ、そして地球の国々の文化に関する日を三つカレンダーに入れようと提案している。それは:3月22日は太陽の日である。太陽は愛のシンボルであるからである。 7月10日は澄んだ水の日に。水は人間の希望やはっきりとした情報のシンボルである。澄んだ水の象徴はバイカル湖である。ロシアの都市イルクツク、バイカルスクなどでは毎年「バイカルの呼びかけ」という討論会が行われている。 7月22日は山の日に。山は上を飛ぼうとしている人間の精神のシンボルである。アルタイ山脈では見学旅行、子どもの民芸祭り、2004年から「山の呼びかけ」という討論会も行われている。 6月24日は風と空気の日だ。空気は旅人のシンボルである。空気は生活の本質である。6月は古代ローマの神話に出てくる羽のあるメルクリウスの月であった。そして6月24日昔のアメリカでは風の日だった。 9月3日は惑星文化の日に。惑星の文化というのは我が惑星に対する責任に基づく新しい文化である。地球は三つの主な要素から成っていて生きているものである。3という数字は体、精神と魂の統一のシンボルである。9という数字は新しい時期のエネルギーを表している。 10月17日は世界市民の日に。1993年から毎年の10月は「世界市民の教育」という国際大会が開けて、10の会議の中9つはモスクワにあって、前回はサマラ市にあった。それは「生活のための教育」という運動や「境界無しの世界」という基金などによってもようされる。 10月19日は協力の日に。この日は民族や文化の協力と統一の日である。2000年10月19日「シベリアにおける文化と教育」と2005年10月19日には「民族の文化の一致」というセミナーが開かれた。 障害者の子どもの親団体長であるインド人のマトレヤ・ロイとサビル・ロイは4月2日を国際子供の日にしようと提案している。 ロシアの有名な監督であるイゴリ・シャドハンは3月14日を祖父母の日にする計画がある。祖父母の日は世代の繋がりを示している。 ロベルトとバルバラ・ミュウラーは幸せの日を取り入れようと提案した。( www.goodmorningworld.org) 上述の記念日は国際連合に取り入れられた女性の日、健康の日、科学の日、芸術の日などと共に新しい調和の世界の文化のカレンダーを形成している。 記念日提案のまとめ 1月1日 宗教的黄金律の日 1月10日子供のコミュニケーションの日1月12日正義と餓えと貧困消滅の日3月5日 文明、宗教、民族の赦し合いの日3月14日祖父母の日3月21日地球の日3月22日太陽の日4月2日 すべての子供の優先、権利、愛の日5月1日 グローバルな愛の日 5月15日あらゆる闘争における仲直りの日 5月31日 世界の子供に対する慈善の日 6月1日 子供の保護と優先の日6月21日 グローバルな調和の日6月21日 風と空気の日6月24日 平和/調和基金の日7月10日 澄んだ水の日7月22日山の日 7月30日 新しい平和文化の日9月3日 グローバルな文化の日10月4日 希望の日10月17日 世界市民の日10月19日 ラウンド・テーブル・デエー11月11日 戦争を終結する停戦の日11月30日 世界の子供に対する約束の日12月10日 公平な人権と尊厳の日12月15日 エスペラント語と言語的権利の日 ? 幸せの日さらに、国連提案の記念日(www.Unmediation.org.)を参考に 多くの方々、とくに子供からこの記念日に関する意見や新しい提案を歓迎したい。この調和の暦は全ての民族、文明の公共なものだから、全ての国を統一している。このカレンダーの目的は軍事の祝日ではなく、平和の祝日を祝うことだ。 私たちのメッセージは完成していないから、だれでも自分の思うことを書き入れてもよい。 子どもに対しての責任を担う中年の人々も、平和と調和を願っている若者も、皆はカレンダーの形成に参加してください。国際連合、ユネスコなどの組織にこのカレンダーを送りたいと思っているので、その組織の支援を願っている。 2006年5月9日 世界的文化、社会的調和、調和の暦の多元論とその実現の方法(*) 地球の日の創案者の91歳のジョン・マッコネル[将来を期待すること]「地球での生活が続く希望があるのか」「希望の星」 地球の希望のシンボルとしてキラキラする衛生を宇宙に打ち上げることができたらいいだろう。神様の存在やあの世の存在に関する質問が多くあるが、それは今でもまだ神秘である。私には答えがない。しかし他の質問には一つの答えがある。それは次ぎのようなものである。愛や労働には徳がある。それによって人類の存在が伸びていって、次の世代は「生活の意味は何にあるか」という質問に答えられるかもしれない。 私の考えではキリスト敎のリーダーであるブッシュ大統領が神の愛について述べているが、実は戦争を始めたり、兵器の生産を発展させたり、敵を殺ろしたりするから、神を否定していると言える。一方、昔のキリスト教のリーダーは敵を自分の同調者にした。闘い、対立を終わるようにお互いを愛しなければならない。そして神様を信じないといけない。歴史も私の経験がこの主張の証明である。 10月4日は希望の日に。 希望は地球で平和の維持の一番いい方法である。1957年に「北のカロリナ」週間新聞で私の「ウィリ岬からの形式」という記事が世に出た。その記事では全ての人類の希望のシンボルとなるキラキラしている衛生を空に打ち上げようと訴えた。一番最初の人工衛星は10月4日に打ち上げられたが、その日は聖フランシスコの誕生日だったということがマスコミに無視された。そして当時の無宗教のソ連で打ち上げられた。(多分、衛生の打ち上げの日を決めた人はキリスト敎の信者だったと思う)。私の経験と祈りによって人々には共同の目的が必要だと理解できた。共同の目的は様々な文化や宗教の人々の注目を引くはずである。不公正や戦争などの恐ろしいことの代わりになる何かのものが必要である。人間は宇宙の研究を始めたとき、地球を発見した。今私たちは皆一つの家族であって、私たちの家となった、ただ一つの地球があると認識している。しかし戦争や私たちの欲望がほぼ地球と人間の将来を滅ぼしかけている。だから人間の存在を伸ばしたいなら、私たちは変わらないといけない。 聖フランシスコの平和の祈り神様、神様の世界の道具として私を使ってください。憎みのあるところでは愛を、不公正のあるところでは許しを、疑問のあるところでは信念を、失望があるところでは希望を、闇があるところでは光明を、悲しみのあるところでは楽しみを広めさせてください。私が多くのものを欲しくなくなるようにしてください。私が他の人を慰めることができるように私を慰めてください。私が他の人の感情がわかることができるように私の感情を分ってください。私が他の人々のことを愛できるようにわたしのことを愛してくださいそのことができるように神様から容赦力をいただく。そして新しい生活を始めるように死をいただく。 聖フランシスコの祈りは各宗教や文化の人々向けのものである。2007年10月4日に衛星が打ち上げられてから、それは初めての宇宙に出たことの50周年記念日になるだろう。その出来事は皆の注目を引いて、皆を統一させるはずだ。 ルドルフ・ジベルト「宗教的黄金律の日」(*) 現代の世界では宗教のものと世俗のもの、神秘と常識、進行と知識の共同の弁証法によって、宗教人と世俗人が協力できるようになった。それはキリスト教、イスラム教、仏教にもある主な規則によって可能になった。この主な規則は旧約聖書にも新約聖書にも、コーランにもある。多くの啓蒙者やヒューマニストも「主な規則」を認めている。 中国の儒教の主な規則は「人にしてもらいたくないことを人にしないほうがいい」である。 インドのヒンズー敎の主な規則は「人に傷つけないで」ということである。 仏教の主なルールは「私にとって嫌なことは他の人にとっても嫌なことである」。 ユダヤ人の宗教のルールは「人にしてもらいたくないことを人にしないで」となっている。 キリスト教とイスラム教の主な規則は「自分のため願っているものを他の人のためにも願ってください」ということである。 主な規則に基づいてほとんどの人類の宗教が認める4つの指令がある。この4つの指令は人間はどのように変わったほうがいいと分かるのに大切である。 (1)殺したり、傷付いたりするのはいけない。つまり、生活を高く評価しなければならない。死の文化ではなく、生活の文化に忠実であるべきである。 (2)嘘を付いたり、偽物を造ったり、だましたりするのはいけない。正直にものを言わないといけない。我慢や正直が大切である。 (3)物を盗んだりすることはいけない。正直に行動しないといけない。公正に忠実であるべきである。 (4)人に悪口を言ったり、悪事をするのはいけない。互いを尊敬して、愛しなければならない。 平和の暦の意味づけについて場知賀 礼文 レブ・セマシコが提案した世界平和の暦の考えは、共通する世界的な文化や社会的調和を広げようとする努力の中で、非常に重要な課題の一つである。る文献によると、20世紀だけでほぼ2億の人々が殺され、あるいは死をもたらされる状況におかれたのである。このような、人間自身が起こした膨大な不幸や苦痛、貧困などを、我々は一体どのように考えたらよいのであろうか。この無謀な行動に対してどのような終止符を打たなければならないのか。その目標に向かって努力に努力を重ねなければならないだろう。その非常に有意義な努力の一つとして平和の暦の設立があると思う。平和を記念することは、平和を促進することにつながるからである。平和の暦の意味はだれにでもよく理解できると思うが、私なりに価値論と象徴論の観点から一言述べてみたい。 価値というものは感情に根ざしている。価値とは人が求めているもの、人に満足を予想させ、約束するものである。例えば、健康、経済的安全、美貌、自由、友情、愛情、社会地位や名声などである。結果的に人が求めるのは充実感であるが、問題なのは、価値は生活の分野によって異なっており、価値にはさまざまな種類があるということである。また、それぞれの価値には異なるフィリングが内在しているので、同一の充実感はない。場合によっては矛盾を起こしてしまう。一個人は、自己が求めているものをとうてい統合しがたい。したがって、一個人においても価値を調和させるのが難しいとすれば、一定の集団や社会の人々の価値を調和させるのはさらに困難なわざというか、あり得ないことであろう。 象徴論の視点からみれば、社会的調和の可能性は多少明るい。象徴、あるいは象徴的な表現とは、ものや行動の意義、あるいはその価値を何かのイメージをもって、間接的に表した「表象」である。例えば、国旗、民族的衣服、それぞれの民族固有の生活スタイル、音楽などは、国や民族を象徴するものとして機能する。それらのものと同一化することによって人々の所属感が高められ、強化されるのである。集団への所属は当然、重要なものであり、安心感を与えるものと考えられる。宗教的儀式や他の社会的儀礼も同様である。儀礼的な行動に参加し、行動を共にすることは、その行動を「外的に」調和することである。民族的・宗教的文化にこだわり、それを守ろうとするのは有意義かつ妥当であり、自分のアイデンティティを重視する意味をもっているので、重要な態度であるが。しかし、所属文化の独自性を強調すぎると、他の民族や宗教と対立が起こることになりかねないであろう。そうした結果が生じないために、民族的文化や宗教の多様性を認めなければならない。さらにいうと、ものの考え方やスタイルの異った多くの文化の存在は、文化そのものの豊かさを表している。世界文化を統一化しようとし、その幅と豊かさを損なうことになれば、人類は文化的貧困状態に落ちる。 以上のように、文化や宗教の多様性を維持する努力も非常に有意義であるが、多くの文明と宗教が同時に共通の習慣、例えば、「世界的な平和の日」、「宗教的黄金律の日」, 「宗教感謝の日」等々を世界的に記念すれば、それは共通の関連性、つまり宗教や民族が互いに結ばれていることを意味するのではないだろうか。そこから、共通する価値、共通する信仰への道も開かれるのではないか。数多くの人々がそうした方面で努力を重ねるとすれば、今の社会は変わるであろう。 ガロルド・ベッカー 愛と調和(*) 私たちの心では愛があったら生活の意味がある。それを意識したら、自分の中の平和、調和を感じるようになる。自分の愛についていったら、周りの社会も変っていく。他の人に自分の愛を表現し、その人が優しくなる。愛は私たちの弱点を直す手段である。愛にはエネルギーと知恵がある。それは様々な考え、感情を調和させて、自然と繋いでいる。愛は生活の全ての分野に平和と調和を置いている。 自分のことがわかるように、他の人を鏡のように見るとよい。つまり、他の人の痛みは自分の痛みになる。他の人の幸せは自分の幸せになる。自然も鏡として眺める。自然の破壊は自分の破壊で、自然の美しさは自分の美しさである。愛は問いと応えである。他の人の中にある愛を気付くように、自分の中にある愛を見つけなければならない。絶えず 新しい現実を創造していく。恐怖、憎み、戦争ではなく、愛、平和、一致を選べば、新しい世界は美しくなるだろう。 テトラ社会学:調和時代の暦にかんする社会哲学レブ・セマシコ あらゆる文明社会にはもっとも重要なのは社会的調和であり、「調和時代の暦」はそのシンボル・システムである。20世紀は危険社会として特徴づけられている(ウリッヒ・ベック、1986)が、我々は新しい文化と新しい暦を考えている。 17世紀の半ばから西洋文明は工業社会を形成し、「自由」を理想の一つにしていたが、その時代で生じた闘い、さまざまな開放的革命、勃発した世界大戦に関する記念日を設立した。それは競争、革命、戦争の文化を記念するものである。それは、つまり平和的な時代になっても、戦争の継続を意味する文化ではないだろうか。従来の暦は、絶えず革命、戦争での勝利とか敗北を思い出させる。戦車部隊、砲兵部隊、海兵部隊などの記念日、勝利の記念日、革命の記念日、独立の記念日のようなものばかりである。従来の暦は軍事パレードのようなものである。 工業危険社会はそうした出来事を記念しており、その文化は平和の文化ではなく、戦争の文化である。戦争文化の原則は「平和が欲しいなら、闘え」(Sivis pacem, para bellum)である。自由の文化は暴力、テロ、戦争の文化を生んだと言えるのではないだろうか。西洋文明の工業時代は今、終わりつつあるが、戦争の犠牲者が今でも多く、兵器が溢れており、核兵器の危険が非常に大きいから、西洋文明は衰えている。 20世紀の後半から情報社会が発生しはじめた。情報社会がさらに発達して、調和社会にならなければ、情報社会には将来がない。新しい調和の社会は工業社会の自由、技術、成績を守っていくが、それを自然の調和、新しい技術、本当の世界的文化をもたらさなければならない。社会調和の新しい秩序を創造するために、新しいことを優先的に考え、従来の西洋、南洋,北洋、東洋文明の業績を総合するような新しい調和の文化を産みつつある。調和の文化の中に世界のさまざまな文化から要素を取り入れ、ある程度統合させるのが大事である。(文化の多様性はクレグ・カリハウンに『批評社会理論』という文献で述べられている)。この秩序は子供を優先的に考える社会層、民族平等の秩序である。子供が新しい社会の拠点である。 勿論、調和は昔から考えられており、多くの民族や文明が高く評価しているものであり、すべての民族にとって当然のものである。社会的調和の理念は全ての文明で発達したが、特に仏教や儒教と南洋文明を代表するアフリカの信仰で発達した。東洋と南洋の国々では調和は非常に重要視されている。西洋と北洋では調和は重要視されなかったとは言えない。調和の考えはホメロスの詩に生まれ、プラトンやアリストテルなどに受け継がれた。しかし、急速に進歩したヨーロッパとアメリカとの社会では調和の理想よりも自由の方が優先権を得た。それでも今日の西洋文明では調和のアイデイアが生き続いている。調和はすべての文明にとって普遍的なものであるから、「世界調和の日」を設立し、調和の時代を作りあげるために、それを象徴する暦が大いに役立つと思う。調和は公平、平和、愛、許し合い、幸福などを次の世代のために保証するものである。 従来の文化では社会的調和が必要とする社会基礎がなかったので、調和文化はマージナルなものであった。情報社会になると、条件は異なってくる。現代社会のあり方や社会階層を分析してみると、社会のあり方に四つの次元、また社会生産に関わっている階層には四種類を区別することができる。ここでは、十分に説明できないが、私はその次元を分析した研究をテトラ社会学と呼んでいる(テトラはギリシヤ語では四という数字を意味することばである)。この四つの階層がそれなりに社会生産に同等の役割を果たす人口と考えられるので、これらの階層が調和のとれた関係にあるので、それが調和の文化の基礎となるのである。すべての文明社会では調和の文化が優先するようになり、また子供の優先を認めれば、新しい社会系統が成立してくる。社会の次元、あるいは領域は、他の研究者にも指摘されている。例えばギデンス、スクリャル、ロベルトソンは三つ領域を、ベック、テルノボルンは四つ、さらにアッパラヅイなどは五つの領域を区別し、社会構造を論じたのである。人口の四階層を論じたことは次のサイトにある。http://www.peacefromharmony.org/docs/2-1_eng.pdf 新しい社会階層において最高の地位にあるのは資本家ではなく、子供である。子供こそ、社会的調和を信じるのである。子供や若者には能力が多く、可能性をたくさんもっているので、彼等は新しい情報社会の発展やその質に大いに貢献できる。従って、調和の文化においては工業ではなく、社会階層、特に子供の階層が中心におかれている。この場合、軍備や武器の生産の代わりに教育や健康治療が優先的に扱われている。子どもの優先のことについてはhttp://www.peacefromharmony.org/docs/2-4_eng.pdfのサイトで述べた。 この新しい文化では、民主の勢力は全ての階層の代表者の手にある。これについてはhttp://www.peacefromharmony.org/?cat=en_c&key=13を参考に。この社会体制を「分野民主主義」と読んでいるが、この体制では無論、すべての市民が政治選挙に参加できるが、しかし、子供自身、教師や医者などを含んだ子供階層の権利が強調される。この階層は総合して人口の50%から80%をなしている。このように、調和の文化は新しい社会基礎と民主主義を形成していく。新しい民主主義の中心概念は自由ではなく、調和、平和、暴力をなくした自由である。子供を優先的に考えた宗教では差別もなくなり、様々な文化が重視され、様々な集団が互いと協力するようになる。調和の文化は戦争、テロ、貧乏を乗り越えることができるはずである。多元論的社会哲学であるテトラ社会学と調和の文化に基づいて、新しい社会秩序を創ることができるのである。 したがって、テトラ会学によれば、社会階層の調和は情報社会の自然状態であると考えている。社会調和に達する方法は、親を通じて子供が選挙に参加させるという新しい法律と考えられる。学校、マスコミを通して、「子供に優先を」という運動をすればよい。(この運動については私たちのサイトの8―10ページの10の文章を参考することができる http://www.peacefromharmony.org/?cat=en_c&key=121)。「調和時代の暦」においても子供の優先が強調されている。例えば、「世界の子供に対する慈善の日」、「子どもに対する約束の日」などの記念日がある。子供の優先からはじまる新しい生活の質や新しい世界秩序が我々の暦で明らかになっている。 まとめていうと、調和時代の暦の上では、全ての民族、文明、宗教が統一している。情報社会はその一致を可能にする。従来の暦は民族、宗教、文明の分裂を現わしており、戦争を記念するものが大半であった。今から、新しい暦を出発点にして、貧困、テロ、戦争などをなくしよう。戦争の文化が去っていくと、社会調和の文化が到来する。社会学的考察に基づいて、調和の秩序の構造、それに達する方法の理解を深めることができる。古代ギリシャのある哲学者は「人間はモノの尺度である」と述べたが、社会学からみれば、「調和が人間の尺度である」と言える。これは、つまり普遍的な情報人間の尺度である。平和を象徴するさまざまな記念日を提案している我々の暦はこのメセージを表しているのである。 今は調和の時代が始まろうとしている。将来、人類の歴史は二つの時代に分かれると推定できる。調和の時代と調和以前の時代。ジョン・マッコネルの言葉によると、もし人間の行動が変わらなければ、人間の歴史は必ず終焉に向かっていく(www.earthsite.org)。歴史の継続の条件はやはり社会的調和であろう。 以上
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